難経にあれほど悪口を言われていたとは

まだまだ腹の虫が収まっていない本部会での討論会ですけど、今朝から録音を聞き直しているとギリギリまで攻め込んだつもりでしたが、もっと突っ込める箇所が多くあったという感じです。
けれど「今までていしんの治療はこんなに素晴らしいものでこれでやろうと書いてあるのに、毫鍼と混在させてもかまわないというのはどういうこっちゃ」と激怒していることそのものは、録音に残ってはいました。現場ではマイクを通さずもっと悪態をついたのですけど、それも録音に残せばよかった。
ところが、もうこの時点で頭に血が上っていたのでこちらのほうが覚えていなかったのですけど、難経のことについてあんなに悪口を並べているとは。古典に教えてもらっていると散々に引っ張っておきながら「難経は単なる中医学の本ですから」って、あんたどれだけ偉いんや!!です。
古典が書かれた頃の道具と現代の道具はもちろん違うのであり、ていしんのような加工のし易いものはどんどん改良をされています。刺さる鍼についても霊数の時代と難経の時代は違うのであり、スイスイ刺さる鍼が難経の時代に出てきたので「技術開発がこんなにできたよ」と書かれてある、どうしてそのように読めないのでしょう。何行の作者もていしんのことは当然知っていて活用しなかったはずはないのに、それ以上にスイスイ刺さる鍼でのメリットを強調しただけの話なのでしょう。
逆に言えば現代になってていしんの工夫が進み、発達した毫鍼と肩を並べられるようになったという話にしてほしい。二木式ていしんを開発したときに何を考えていたかというと、全く刺さらないということだけが違うのであり鍼としてできることは基本的に同じということだったのです。