先月の繰り返し発生してきた緑内障発作で執筆が遅れに遅れたのですが、ようやく補瀉シンポジウムの抄録が執筆できました。昨日の鍼灸院で、扇風機だけで作業していました。
私個人の臨床で登壇するならていしんの種類を持ち替えながら行っていることを話したいのですが、そこは研修会の代表でもありますから本部とすり合わせ会議と実技を行い、逸脱しない範囲でまずはまとめるというのが作業の遅れた要因でもありました。
ここで難経を読み返すと、七十一難で衛気と営気の補法の具体的な手法が書かれてあり、どちらか一方だけを動かすのが要点だということを改めて確認しました。つまり、本部のやり方を見せてもらった衛気の補法を長時間行うことによって気を動かすというのは、間違いです。
あれだけ「古典にしっかり書かれてあることから検証していくために素問の記述をまずは重視した」というのに、アップデートされしっかり書かれてある難経の手法を無視するというのがよくわからない。あるいは九鍼十二原篇に補法は鍼口を閉じると書かれてあるのに、それを無視するというのがわからない。古典を重視するなら古典に書かれてあることをまずは実現すべきであり、できないなら工夫が足りないと発送すべきのハズが都合のいい解釈にすり替えてしまうというのは、もっとわからない。