最初から理論が苦しいものは、うまく行かないように思えるのですがねぇ

本部が提唱してきている手法、「補法」「補中の瀉」なのですけど、やはり「補中の瀉」はよくわからない。
「補法」以外は「補中の瀉」になるというのであり、邪があるときには補ってやれば自然に邪は排出されるという古典の記述らしいのですけど、それ自体は東洋はり医学会時代から知っていました。重虚極補ということて補いを優先して、それでもホコリのようなものがあれば瀉すのだと言われていました。池田先生も「補って治すくせがある」と言われていました。
けれど瀉的な主義や瀉法そのものは、やはり必要でしょう。肝実証の治療には瀉的な手法もしくは瀉法でなければ名称からしておかしいのであり、「陰陽調和の手法」と同様に最初から理論が苦しいものはうまく行かないように思うのですがねぇ。