古典からの引用文で改めて感じたこと

50周年記念誌のデータ切り出し作業を今朝もしているのですけど、ほんの少しならいいのですが古典からの引用が多いと点訳が自分たちではできないので(私が知らないだけかも)、何より効率が極端に落ちてしまうので思い切って削除しています。
ずっとずっと以前から考えていた・思っていたことなのですけど、何ページも全て引っ張ってくる必要はないものの関連部分だけを前後を切って引っ張り出してきているのは、どうなんだろう?と。まるで現代のマスコミの切り抜き報道のようです。
つまり、自分の意見に都合がいいだろうと思われる箇所を抜き出してきて「ほら古典にこう書いてあるぞ」と言わんばかりのものがあり、古典に変調している説明にアレルギーを感じていたのです。古典はあくまでも参考書であり、絶対的な聖書ではないということを滋賀のテキストでは打ち出します。