迎随の補瀉?

その用語に関する講義を読んでいて、迎随の補瀉は難経から出ているというのは嘘だとありました。あれっ、私は九鍼十二原篇かと思っていたのですけど、別の読めなかった書物に書かれてあるそうです。
どこから出てきたかはいいのですけど、ここで思い出すのが名古屋漢方が提唱してきた「陰陽調和の手法」です。まず手法は陰陽調和のために行うのであり、命名そのものが間違っていると大反対したのにこれで押し切ってきた。
そして迎随のことが難経には書かれていないことから発想しているということだったのですけど、迎随の補瀉こそ書かれていなくても一難に経脈循環はしっかり書かれてあるのであり迎随を無視しての軽擦や手法はありえないのも大反対したのにこれも押し切ってきた。
何より駅と営気の使い分けさえできないのに、そんな人達が微妙な上下差で手法がコントロールできるはずがないやんけ!!加えて「補瀉はイメージをすればそのように作用させられる」って、そんなことだけで治療ができたならオカルトだ!?とこれも大反対したのに、滋賀漢方以外では声を出す人がいなかった。あそこから漢方鍼医会はどんどん崩壊の道へと進んでしまったのでありました。