古典は聖書ではなく、偉大なる参考書

もう一つ、「ていしんは刺さらない鍼なので皮毛を操作しておりすなわち衛気のみを動かしている」という定義を本部ではしているのですが、九鍼十二原篇にも「ていしんは被毛もしくは血脈に対するもの」としっかり書かれてあり、血脈の深さへ直接アプローチできるという滋賀の考えとはもう少し乖離があります。
 難経に「摂按をして衛気を退かせ傷つけないようにして」と、営気を操作する方法が書かれてあります。「営気を動かすときには営気のみのほうがよろしいです」と著者がはっきり言われています。衛気を退かせてあれば、刺さっていなくても営気の操作が可能とは読めないですかねぇ。
 有名な六十九難の治療法則でさえ何種類も解釈されており、それなりの治療効果が出ています。ただし、六十九難に縛られるため相克調整とか置鍼による本治法とか、苦しい解釈にもなっています。「古典に読まれるな」と聞いてきましたが、古典は聖書ではなく偉大なる参考書という位置づけがやはり大切なのでは?