菽法脈診とはなんと素晴らしいものなのでしょうか

前エントリーで「本治法を始めたなら予測していた脈状と違っていたので誤診に気づいた」と書いたのですけど、ふといつ頃から「主義のあとにはこんな脈状になっているはず」と考えるようになっていたのでしょうか?
助手時代はとにかく師匠に認められるような全体が整った脈に仕上げることしか目標になく、開業時は比較脈診(脈差診)の時代ですから目標とした経絡の位置にいわゆるスタミナのある脈を出すことだけが必死だったように思います。開業から数年間はそうだったのでしょうけど、ここはよく思い出せません。
漢方鍼医会になって菽法脈診を取り入れたのですが、治療法が固まるまでの間はそれこそ暗中模索で何がいいのか悪いのかさえわからない時代であり、診察そのものは不問診もありますからできていたのですけど手技によって変化する未来は予測していなかったはずです。
となると「3.6.9.12.15の菽法ピッタリの脈状が理想」と納得した頃に、やっと到達できていたのでしょう。慣れてくると菽法以外の脈状にも意識が及ぼせるようになり、誤診に気づくことができるようにもなったのでしょう。菽法脈診とは、なんと素晴らしいものなのでしょうか。