一瞬納得しかかりましたが、やっぱり違うぞ

昨日の本部での討論会、またまた一人の先生がずっと話し続けてしまうパワハラ状態になっており、どうにも空気が悪かったです。討論をすると言いながら、抑え込みに来るのですからそのうち誰も意見を出さなくなってしまいます。
それで腰を抜かしそうになった「本治法での瀉法は毫鍼で行っている」という答えなのですけど、「ていしんのみで治療をすることにこだわらなければそれでいいのか」と一瞬納得しかけました。でも、一ヶ月前まで大騒ぎしていた「補中の瀉」はていしんで行うのだと書かれてありましたし、ていしんの瀉法は標治法では行われるとこちらもしっかり書かれてあるのですからどうして本治法で用いる瀉法を除外してしまうのかがやっぱりわかりません。
全体的にもていしんメインで治療できるのが漢方鍼医会の特徴であり強みであると書かれてあるのですから、極力ていしんのみで試行錯誤していくのが正論でしょう。「瀉法は毫鍼でやればいい」のなら、逆に「補法はていしんで行ってください」それだけを書いておけばいいのです。古典をあちこち持ち出さなくても九鍼十二原篇のみで十分でしょう。
そのくせ重たい手の人が一向に亡くならない、軽くなってもまた重たい手に戻るのはどうして?逆に重たい押し手を意識して使ったほうが、治療効果が出ることが多くあります。使い分けができないのなら、手法以前の問題です。